都市伝説・オカルト

神と仏が交わる究極のパワースポット





神仏習合

奈良時代から明治時代の神仏分離までの日本における信仰は、神道と日本仏教が融合した神仏習合と言われる体系が中心であった。例えば、大きな大仏を造れば信仰心が認められて守護神が国を守ってくれるという思想により造立されたのが奈良の大仏である。

仏さまが神さまの姿で表れて人々を救うという本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)は、平安末期から鎌倉時代にかけて、すべての神社の本地仏(※1)が定められるほど盛んで、村人たちの生活には神さま仏さまが密接に結びついており、鎌倉時代のころになると村規模の土地に鎮守社と宮寺をひとつずつ造営するのが一般的な形態だった。

(※1)その神さまの根本である仏や菩薩またはその像のこと。(例:この仏さまが人々の前に表れるときは、〇神さまの姿をしている。或いは、この仏像は〇〇神さまの仮の姿である。など)

飯盛旅籠屋(めしもりはたごや)

河川舟運から陸路へと交通が発達し、商売が盛んになってくると、従来形式の宿屋よりも、食事と飯盛女(めしもりおんな)を旅客に提供する飯盛旅籠屋が降盛するようになった。飯盛女とは元々は遊女のことであるが、江戸時代中期頃、風紀が乱れるなどの理由で遊女の取り締まりが厳しくなる中で、飯盛旅籠屋は客付きが良く、娘を働かせなければならないような貧しい百姓が増えたこともあり、次第に飯盛女と呼び名が変わり影を落とすことになった。そして、時代の流れとともに河川舟運が衰退して、河川から内陸へと商売の中心地が変化していった地域では、河川に軒を連ねていた飯盛旅籠屋は次第に遊郭へと変貌して客寄せをする運びとなり、それは第二次世界大戦頃まで栄えた。

平潟遊郭跡地(ひらかたゆうかくあとち)

千葉県松戸市のJR松戸駅から江戸川堤防方面に10分ほど歩くと、河川舟運が活発だった頃は松戸の中心地として栄えていた地域に辿り着く。この地域にもかつては多くの飯盛旅籠屋や遊郭が軒を連ねていたが、交通の発達による河川舟運の衰退や売春防止法の施行によって、その面影は殆ど見られなくなった。しかし、この地域が商売の中心地だった頃は有名で、昔の人々の生活を知る上でも貴重な場所とされており、平潟遊郭跡地と呼ばれその名を残している。


左:道標 右:平潟遊郭名残りの柳






飯盛女や遊女の遺体が投げ込まれていた松戸の藪知らず

飯盛旅籠屋や遊郭で働く女性の多くは訳ありだったので、亡くなってからきちんとしたお墓に埋葬することが難しかったことは容易に想像出来る。それでは、亡くなってしまった飯盛女や遊女の遺体はどのような扱いを受けていたのだろうか?物好きな金持ちに引き取られる場合もあったようだが、殆どは親切な村人たちによって、一ヶ所でまとめて埋葬されていたのである。平潟遊郭跡地にもそのような場所があり、村人たちからはいつしか、祟りを畏れ忌み嫌われるようになり、松戸の藪知らずと呼ばれていた。土地開発によりその痕跡は見られないが、江戸川堤防側の土手付近にあったようだ。

遺体がまとめて埋葬されていた場所は全国各地に存在すると考えられるが、忌み嫌われるような場所については住民が口を閉ざしてしまうので、その多くは歴史の闇に消えただろう。因みに、千葉県市川市にも八幡の藪知らずと呼ばれる有名なミステリースポットがあり、同じ「藪知らず」と呼ばれているが、八幡の藪知らずの方は国府に由縁する一国一社の八幡宮と呼ばれる葛飾八幡宮のすぐ側にあるので、流石に葛飾八幡宮の側で村人が遺体を放り投げていたとは考え難い。(参照URL:https://mnsatlas.com/?p=32624

つまり、まとめて遺体を埋葬していた場所の呼び名は各地によって異なり、藪知らずと呼ばれる場所も地域によって内容は異なるということだ。例えば、東京都荒川区南千住の浄閑寺は遊女の投げ込み寺として知られており、山梨県甲州市の花魁淵は50人以上の遊女が淵に沈められて殺害された場所として有名である。




不思議な鳥居

筆者は深夜に平潟遊郭跡地を調査しに行き数枚の写真を撮影したのだが、その一枚にコンクリートで出来ている鳥居が透けて写っているように見える写真があったので、その鳥居と周辺を再調査するため、翌日の昼間に同じ場所へ向かった。そして、その鳥居を再度撮影してみたところ、今度は鳥居の真ん中に右上から左下にかけて虹のような光が写りこんだ。やはり、この鳥居には何かがありそうだ。鳥居の前で考え込んでいると、その鳥居の左手にある来迎寺(らいこうじ)というお寺の住職さんがたまたま表に出ており、住職さんの方から「歴史のお勉強ですか?」と話しかけてこられたので、これは好都合と思い、この鳥居について何か云われが無いか聞いてみたのである。「特に何もないですが、上から二段目は崩れてしまったので直しました。だから二段目だけ新しいので色が違いますけど。」とお答えになられた。確かに二段目だけコンクリートの色は違うが、透けて写るような代物ではない。そこで筆者は、鳥居の写真を撮影して不思議な写り方をした旨を住職に伝えた。すると・・・


左:鳥居の二段目が透けている(夜撮影)中:鳥居の中央に虹が(昼撮影)右:水神宮境内でも不思議な光が

伝説と御神託

住職は何かを思い出した様子で、「あぁ、そう言えば、その鳥居の前に昔は目印があったのですが、ぬかるんでしまって危ないので駐車場として直したときにそのまま埋めてしまい、迷ったのですが、それっきりにしています。その目印の上に立って水神宮(平潟神社)の方に向かい参拝をすると御利益があると云われていたそうですが、ぬかるむような場所にあったものなので大した意味はないと思ったからです。その場所は、来迎寺に祀ってある阿弥陀如来さまと水神宮に祀ってある弥都波能売神(みつはのめのかみ)さまが対角線上で交わる場所で、地中に石が埋めてあると聞いたことがあります。来迎寺と水神宮は斜めに向かい合う、とても珍しい配置になっています。云々」

なんたる偶然であろうか。その目印があった場所こそが、夜中と昼間で鳥居を撮影した場所だったのである。この場所はかつて、この地域の中心地だったので、元々は来迎寺を鎮守社として、水神宮はその宮寺として造営されたものであろう。一般的に鎮守社と宮寺は真横或いは上下に配置されているが、ここの来迎寺は北北西を水神宮は北北東を向いており、確かに斜めに向かい合う配置となっている。何故、斜めに配置されたのかは謎であるが、来迎寺と水宮寺が対角線で交わる場所は、紛れもないパワースポットであることを写真と伝説が物語っている。不思議な写真は、駐車場として地盤を固めてもパワーは健在であるという御神託だったのである。


向かって左が来迎寺、右が水神宮(斜めに向かい合っている)


駐車場になる前は、写真の中央辺りに目印があった(筆者が鳥居の撮影をした場所)

神と仏が交わるパワースポットの御利益

来迎寺には創建されて間もなく、子育て呑竜(どんりゅう)として有名になった呑龍上人が住職を務めていたという云われがあり、呑龍上人像が祀られている。来迎寺は子供の丈夫な育成や学業成熟など子育て全般に御利益があるとされている。水神宮の方には水の神さまである弥都波能売神が祀られており、この地域は河川舟運によって栄えていたので、媽祖神や舟玉信仰とも同一視して考えて良いだろう。また、弥都波能売神は厠信仰が盛んだった昭和初期頃までは厠の神さまとしても名高い。これらの状況から判断できる御利益は、

子授け 子育て 安産祈願 家内安全 厄難削除 良縁成熟 心願成熟 合格成熟 社運隆昌 身体健全 無病息災 息災延命 開運成熟 交通安全 旅行安全 除災招福 農耕守護 祈雨止雨 商売繁盛 女子力向上 

などが挙げられる。

読者の皆さまも御神託によって示されたパワースポットに参拝してみては如何だろうか?また、神さまと仏さまが交わるポイントに立って、水宮神の鳥居などを撮影して待ち受け画面などにしてみるのも面白そうだ。【執筆参考資料:ウィキペディア】

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)


左:水神宮境内 右:水神宮


左:水神宮境内 中:来迎寺 六角地蔵 右:来迎寺 門前

※来迎寺 〒270-2225 千葉県松戸市松戸2175 電話:047-362-3305
みどころ:六角地蔵(六角石灯籠型六地蔵) 徳川三ツ葵棟飾り 子育て呑龍上人像 など
御朱印 :平日の昼間頃、住職に相談してみて下さいとのこと。