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人類を導いた神の正体とは? 聖書の中の地球外文明

想像の産物か、異星人か

『聖書』……とくに『旧約聖書』は、いわば主なる神と人類とのコンタクトの数々を綴った史書のようなものといっても差し支えないだろう。それでは、そこに描かれた“神” とはいったい何者なのだろうか? (以下『聖書』は『旧約聖書』を示す。引用は日本聖書協会『旧約聖書』口語訳より)

今日では〝神〟とは、理性主義・合理主義における観点から、あくまで人の想像の産物であり、小説の登場人物と同類で、古代人が作り出した万物・諸現象の究極原因を擬似人格化させたものと見なされている。

だが、“神”とは、はたしてそれだけですまされる存在なのだろうか?

実際『聖書』には、ひとくちに想像の産物と決めつけるには、少々ためらわれるような超常的な存在、そしてまた、その存在が人の世にもたらす事象・現象が、数多く見出せるのも確かだ。

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人がどれほど想像を巡らしたとしても、そこには限界がある。

一例として、たとえばそうした叙述・描写の典型は、平安時代初期に成立した日本の小説『竹取物語』にも見出せる。

主人公のかぐや姫は月から来て、3年ほど地球ですごす。最後に天界に住まうその父、月の王が彼女を迎えにくるが、その一行は雲に乗り、強烈な光を照射するなどして、迎え撃つ人間たちの体を萎なえさせる——。

原文を読むと、多くの場面でひとつひとつの描写が実に詳細でリアリティに富む。筆者ならずとも、想像でここまで書けるものかと首をかしげざるをえないのではなかろうか?

ならば、仮に『竹取物語』が想像の産物でないとしたら、人をはるかに超越する月の王とはいったい何者なのか? 未来の超文明地球人なのか? それとも地球外の超文明人なのか? そう、『聖書』に登場する神がまさにそれに類した存在といえる。

解明の鍵は“神”が住まう世界、天上界をどう捉とらえるかにもあるだろう。月の王は、字義通りなら地球外の存在にほかならないが、同じように天界に住まう神もその同類なのだろうか? そしてそれは本当の意味で地球外の存在、異星人なのだろうか?

 

天界は地球外の世界

われわれは古代人の語る天を、往々にして3次元の宇宙空間と捉えてしまう。だが、古代においては違っていた。彼らにとって、天とは夜空に広がる2次元の星々の世界であり、星々は神々の座、居場所であった。その天は漠然と高い所にあるとされ、高い雲よりさらに2段か3段ほど上方に広がっているものと見なされていた。

『聖書』を編んだ人々にとって地球外世界、つまり天体としての銀河系、星雲、星団、恒星、惑星などの存在は認識の外にあり、天といったとき、それは2次元の平板な“地球”の外の、いや、頭上はるか上方の世界すべてを、漠然と包含していた。だとすると逆に、詳細かつリアルに叙述される“天”がどう見ても想像の埒外にある場合、実際の、なんらかの地球外の天体についての寓ぐう喩ゆ表現である、と捉えても無理はないことになる。

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われわれのこれまでの認識では、『聖書』に限らず古代の聖典類は、多かれ少なかれ想像で粉飾されているものだ。だが、その中にあって古代人が科学技術の知見を駆使して、見たままに描こうと努めている記述部分、それは、実体験または実見による記憶、あるいはそうした伝聞を基にした情報であり、人類がかつて地球外の世界、あるいは存在とコンタクトした際の記憶によるもの、そう理解することも十分に可能なこととなろう。

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(ムー2019年3月号より抜粋)