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世界最大の宮殿ランキングTOP15

宮殿とは、君主や皇族、王族などが住まう建物のことで、住居としてだけでなく、外国からの来賓をもてなしたり、政府の中枢としての機能を果たす場所でもあります。

かつて、王や貴族が国を治めることが一般的だった時代には世界各地にいくつもの絢爛豪華な宮殿が建造され、その国の支配者がもつ富と権力の象徴にもなっていました。

特に、ヴェルサイユ宮殿のような絶対王政のヨーロッパで建造された豪華な宮殿などが有名ではないでしょうか。

ここでは、世界の宮殿から、大きさという点に着目し、敷地面積の大きな宮殿をランキング形式で紹介していきます。

第15位 冬宮殿(ロシア) 60000㎡

引用:jp.freeimages.com

冬宮殿はロシア北西部の都市サンクトペテルブルクの中心に位置する宮殿で、冬宮(とうきゅう)ともいい、もともとはロシア皇帝の冬季の宮殿として使用されていたものです。

現在は、アメリカのメトロポリタン美術館、フランスのルーブル美術館とともに世界三大美術館と並び称されるエルミタージュ美術館の建物となっていて、1990年には世界遺産にも登録されています。

冬宮殿は、1754~1762年にかけてロシアで絶大な権力を誇った女帝エカテリーナ2世の命によって建造されたものです。

設計を担当したのはイタリアの宮廷建築家バルトロメオ・ラストレッリで、白と緑の石材を使ったロココ建築で、建物には1786個のドアと1945個の窓が備わっています。

宮殿は北側をネヴァ川に面して建ち、南側には宮殿広場(ドゥヴァルツォーヴァヤ・プローシャチ)が広がっています。

この宮殿広場は1905年のロシア革命のきっかけとなった血の日曜日事件や十月革命、スターリンの哀悼大集会など多くの歴史的事件の舞台となりました。

1837年に1度焼失している冬宮殿ですが、その後再建され、1917年の十月革命後はエルミタージュ美術館の本館として使用されるようになりました。

外壁の色はこれまで何度か塗り替えられており、建造時は黄色をしていて、その後ピンクや赤茶色、戦争中は目立たないように灰色にされていた時期もありました。

第14位 カゼルタ宮殿(イタリア) 61000㎡

引用:ja.wikipedia.org

カゼルタ宮殿はイタリア南西部の都市カゼルタに位置する宮殿で、1997年には世界遺産にも登録されています。

カゼルタ宮殿は、1752年にナポリ王カルロス7世(のちのスペイン王カルロス3世)の命により、建築家ルイジ・ヴァンディテッリによって建造されました。

カゼルタ宮殿は、ヴェルサイユ宮殿を範にとって建てられ、18世紀にヨーロッパで建造された宮殿のなかでは最大の規模を誇ります。

カルロス7世はヴァンディテッリが作った宮殿の模型をみて、「胸から心臓が引き裂かれるような感動」を覚えたということですが、実際にはカルロス7世はこの宮殿で暮らすことはなく、スペイン王に即位しイタリアの地を去りました。

宮殿の建設が完了したのはカルロスの三男フェルディナンド4世の代になってからでした。

1780年、カゼルタ宮殿は正面幅247mを誇り、1200に及ぶ部屋と24の国の庁舎を備える巨大宮殿として完成しました。

宮殿内には劇場風の装飾が施された細密な壁画やレリーフが設えられ、ナポリのサン・カルロ劇場をモデルにしたという付属劇場もあります。

さらに、宮殿の背後にはヴェルサイユ宮殿に匹敵する広大な庭園が広がっています。

庭園の中央には全長3㎞もの巨大な水路カナローネが通り、使用する水は40㎞も離れた水源から引かれています。

人口の滝や噴水、彫刻など300余りが各所に配され、ラストには80mもの高さの巨大な滝が控えています。

庭園はあまりにも広大なため、移動には馬車やバスが使用されます。

第13位 ストックホルム宮殿(スウェーデン) 61210㎡

引用:http://letsgo-sweden.com

ストックホルム宮殿は、スウェーデンの首都ストックホルムの小島スターズホルメン(市島)にあるスウェーデン君主の公邸です。

ストックホルム宮はスウェーデンの主要な王宮の1つで、国王一家の私邸は別にローベン島にある離宮ドロットニングホルム宮があります。

ストックホルム宮は、議会に隣接しており、中には国王一家の個人事務所とスウェーデン王室の執務事務所があり、国王の執務や国家元首としての行事などにも使用されます。

もともと、ここはスウェーデンの大貴族が建設した要塞でした。

16世紀後半にスウェーデン王ヨハン3世によって、ルネサンス建築への大改装が行われたことから宮殿として使用されるようになりました。

ストックホルム宮殿は現在も16世紀からの伝統をもつ近衛兵によって警護されています。

宮殿内には国王と王妃の寝室のほか、ノーベル賞受賞者の名誉晩餐会が行われるギャラリー、古い兵器や軍服などを展示する王室武器庫、スウェーデン王室の宝石を収蔵する宝物庫などがあります。

第12位 ヴェルサイユ宮殿(フランス) 67000㎡

引用:do-cca.com

ヴェルサイユ宮殿というと、有名なフランスの宮殿で、日本人でも多くの人が聞いたことがあるのではないでしょうか。

ヴェルサイユ宮殿は、フランスの首都パリから少し離れた郊外に位置し、もともとは1624年に当時のフランス王ルイ13世が狩りのための館を建てたことがはじまりです。

ヴェルサイユ宮殿は、「太陽王」ルイ14世時代が衛生状態の悪かったパリのルーブル宮殿を嫌って、こちらを増築しはじめたことから現在の姿になっていきます。

49年もの月日をかけて完成したヴェルサイユ宮殿は、広大な敷地に宮廷関係者20000人、従者や兵14000人が暮らしていたといわれ、それ自体が一つの町のような規模をもっていました。

ヴェルサイユ宮殿の庭園は100㎡という広大な規模を誇り、ルイ14世は王の威厳を知らしめるため、毎夜民衆に庭を解放して祭典を催していたといわれます。

宮殿内には、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の戴冠式や第一大戦後のヴェルサイユ条約の調印が行われた「鏡の間」をはじめとする歴史を象徴する施設があり、1979年には世界遺産にも登録されました。

第11位 トプカプ宮殿(トルコ) 70000㎡

引用:www.travelbook.co.jp

トプカプ宮殿は、トルコの首都イスタンブールに位置する宮殿で、かつて巨大な版図を誇り、20世紀初頭までトルコを支配していたオスマン帝国のスルタン(皇帝)たちが居城とした場所です。

トプカプ宮殿は、ボスポラス海峡(イスタンブール海峡)・マルマラ海・金角湾を三方に臨む丘の上に築かれています。

トプカプ宮殿はもともと、「イェニ・サライ(新宮殿)」「サライ・ジェディード(帝国新宮殿)」と呼ばれていて、これは以前ベヤズットスクエアに建っていた旧宮殿と対比した呼び名です。

第7代スルタン・メフメト2世によって1478年に建てられ、19世紀に皇帝がこの宮殿を離れると、丘のある岬の先端にあった「大砲の門(トプカプ)」から現在の呼び名が生まれました。

トプカプ宮殿は保存状態もよく、現在は博物館として公開されていて、御前会議の開かれていたドームの間や、皇帝の国庫、多くの財宝が展示されている宝物館、かつては多くの女性たちが暮らした後宮(ハレム)、金角湾の美しい景色を眺めることのできる離れ(バーダッドキョシュキュ)など、オスマン帝国の往時の繁栄を思わせる数々の建物が残されています。

第10位 バッキンガム宮殿(イギリス) 77000㎡

引用:www.travelbook.co.jp

バッキンガム宮殿は、イギリスの首都ロンドンに位置するイギリス王室の宮殿です。

もともとは、1703年にバッキンガム公ジョン・シェフィールドが桑畑を購入して建造したバッキンガムハウスが始まりとされ、当時はレンガ造りの粗末な建物でした。

1761年にイギリス王ジョージ3世が王妃シャーロットと王妃たちのための私邸として譲り受けたことからイギリス王室のものになりました。

1825年から12年かけて大改装が施され、ネオクラシック様式の宮殿として生まれ変わり、1837年にヴィクトリア女王が即位とともに移り住んで以降、イギリス王室の公式の宮殿になりました。

広大な敷地をもつバッキンガム宮殿には舞踏会場や音楽堂、美術館、接見室や図書館など多数の施設が存在し、スイート19室、来客用寝室25室、スタッフ用寝室188室、事務室92室、浴室78室の総数775室という部屋があります。

バッキンガム宮殿には、年間40000人もの招待客が訪れるといいます。

宮殿には450人が勤務し、侍従50人は王族と同じ宮に住み、人件費は13億円に上ります。

宮殿の屋上に掲揚される旗は、王室旗なら王または女王の在宅を表し、イギリス国旗なら不在を表しています。

宮殿内は、7月26日~9月24日にあいだだけ一般公開されます。

午前11時30分に行われる衛兵の交代式はイギリスの有名な観光イベントになっており、衛兵には、グレナディアガーズ、コールドストリームガーズ、スコッツガーズ、アイリッシュガーズ、ウェルシュガーズの5つの連隊が存在します。

4月~7月には1日1回、8月~3月は2日に1回行われ、国王の誕生日には特に盛大なトルーピング・ザ・カラーが挙行されます。

第9位 ファラクヌマ宮殿(インド) 94000㎡

引用:www.agoda.com

ファラクヌマ宮殿(タージ・ファラクヌマ・パレス)は、インド中部中南部デカン高原のテランガーナ州に位置するハイデラバードにある宮殿です。

ファラクヌマとは「天空の鏡」という意味をもっています。

ハイデラバードの歴史は500年足らずとインドでは比較的歴史の浅い年ですが、18世紀にはニザーム藩王国の都として栄えました。

ファラクヌマ宮殿は1893年に完成し、1911年までニザーム王国のマハラジャ(王)の居城として使用されていた場所です。

2010年からはホテルとして使用されており、宿泊すれば壮大な宮殿内でマハラジャの気分を味わうことができます。

宮殿内には当時の美術品の展示をはじめ、かつては富の象徴とされた日本庭園をはじめとする様々な様式の庭園、多くの蝶や鳥が生息する森などがあります。

第8位 クイリナーレ宮殿(イタリア) 110500㎡

引用:ja.wikipedia.org

クイリナーレ宮殿は、イタリアの首都ローマにある7つの丘のうち、最も高いクイリナーレの丘にある宮殿で、クイリナーレ通りとクイリナーレ広場に面し、現在はイタリアの大統領官邸として使用されています。

クイリナーレ宮殿は、1583年にローマ教皇グレゴリウス13世の夏の住居として建造されました。

これまで、30人の教皇、4人のイタリア王の宮殿となり、4度の教皇選挙も行われています。

1946年の王政廃止後にはイタリア大統領の官邸となり、以後12人のイタリア大統領によって使用されていますが、なかには、第7代のアレッサンドロ・ペルティーニのように、ここを官邸として使用しなかった大統領もいます。

王の間には、仙台藩主・伊達政宗による1613年の慶長遣欧使節を描いたフレスコ画も飾られています。

第7位 マドリード王宮(スペイン) 135000㎡

引用:www.getyourguide.jp

マドリード王宮はスペインの首都マドリードにあるスペイン王の王宮で、別名オリエテ宮とも呼ばれます。

しかし、実際にはここに王族は暮らしておらず、マドリード郊外のサルスエラ宮殿を邸宅としています。

マドリード王宮はスペイン政府が所有しており、国家の行事などで使用されていて、それ以外のときは一般に公開されています。

マドリード王宮のある場所には、10世紀頃からマイリットと呼ばれる要塞が建っていました。

レコンキスタによって1085年にマドリードがカスティーリャ王国の手に落ちると、王はマドリードに宮廷を移します。

1734年にスペイン・ブルボン朝最初の王であるフェリペ5世によって新しい宮殿の建設が命じられ、現在へと続く王宮が完成します。

広大な王宮内には、フランシスコ・ゴヤをはじめとする数々の芸術家たちの作品で贅沢に飾られ、13世紀以降の武具・兵器を収蔵する王立武具博物館や世界で唯一の完全なストラディヴァリウスの弦楽四重奏などがあります。

第6位 紫禁城(中国) 150000㎡

引用:ja.wikipedia.org

紫禁城は中国の首都・北京の中心部に位置する宮殿で、明・清の時代に皇帝の居城とされた建物です。

世界最大の木造建築群でもあり、中国を代表する歴史的建造物の1つで、現在は昔の皇宮という意味で「故宮」と呼ばれています。

紫禁城は1406年にもともと元が建造していたものを、明の3代皇帝永楽帝によって、改装され、15年の歳月をかけて完成したものです。

1644年に一度消失していますが、清朝によって明の時代をそのまま踏襲したものが再建されています。

その後、1911年の辛亥革命によって清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が退位するまで、中国の政治の中枢となりました。

実に、24人もの歴代皇帝がこの場所で治世を行いました。

紫禁城は、中国の重要文化財に指定されていて、1987年には世界遺産にも登録されました。

第5位 ヴァチカン宮殿(バチカン市国) 162000㎡

引用:worldheritagesite.xyz

ヴァチカン宮殿は、世界一小さな国家であるヴァチカン市国内にあるローマ教皇の公邸となっている宮殿です。

もともと、教皇の住居としてはイタリアのローマにあるラテラノ宮殿が使用されており、ヴァチカンには教皇の休憩所程度の建物しかありませんでした。

ヴァチカン宮殿がいつごろから建造されたかについてははっきりとしたことは分かっていませんが、カール大帝(742~814年)・オットー2世(955~983年)が滞在していた記録があるため、このころには一定規模の宮殿が存在していたと考えられています。

ヴァチカン宮殿は、教皇インノケンティウス3世やボニファティウス8世によって増築されています。

教皇の座がローマからアヴィニョンに移されていたアヴィニョン捕囚の時期以降、ヴァチカン宮殿は教皇の居城となります。

1583年のクイリナーレ宮殿完成後は、そちらが教皇の住居になりますが、そのあいだにもヴァチカン宮殿は増築され、システィーナ礼拝堂や博物館が完成し、18世紀からは博物館が一般公開されるようになります。

19世紀のイタリア統一により教皇領が消滅したことによって、教皇の住居はヴァチカンへと移り、現在のフランシスコ教皇はサン・ピエトロ大聖堂に隣接するサン・マルタ館に居住していて、宮殿は外国首脳との謁見など公務にのみ使われています。

第4位 イスタナ・ヌルル・イマン (ブルネイ)

引用:plaza.rakuten.co.jp

ブルネイは、正式名称をブルネイ・ダルサラーム国といい、イスタナ・ヌルル・イマンはブルネイ国王の宮殿であり、現在王族が実際に居住している世界最大の宮殿となっています。

ブルネイの首都バンダルスリブガワン市に位置し、イスタナ・ヌルル・イマンとは「信仰の光の宮殿」を意味します。

ブルネイの独立を記念して建造され、1984年におよそ4億ドルの費用をかけて完成しました。

宮殿には首相の事務所もおかれ、ブルネイ政府の中枢としての機能も備えています。

現在のブルネイ国王ハサナル・ボルキア王をはじめとする王族もここに居住しており、1つの家族が暮らす住居としても世界最大の大きさを誇ります。

宮殿には1788もの部屋があり、257なの浴室、5000人の客人をもてなすことのできる饗応室、1500人を収容できるモスク、110台を収容可能なガレージ、5面のプール、165台のロールス・ロイスという国王のカーコレクションなどがあり、564のシャンデリアに18基のエレベーター、電球の数は51000個と我々の想像を超える建物であることがわかります。

第3位 ルーブル宮殿(フランス) 210000㎡

引用:ja.wikipedia.org

パリのセーヌ川沿いに位置するルーブル宮殿は、かつて歴代のフランス王たちの王宮として使用されていた宮殿です。

ルーブル宮殿はセーヌ河右岸の、テュイルリー庭園とサンジェルマン・ロクセロワ教会に挟まれた場所にあり、1991年には世界遺産にも登録されました。

中世にできたとされるルーブル宮殿は、1682年ルイ14世がその不潔さを嫌ってヴェルサイユ宮殿を建造するまで、フランス王家により使用されました。

現在は、宮殿内にルーブル美術館ができ、メインエントランスにはルーブル・ピラミッドと呼ばれる巨大なガラス製のピラミッドが造られています。

ルーブルという名前の由来ははっきりとしていませんが、一説によると古いラテン語で「城塞」という意味があるそうです。

ルーブル宮殿は4棟の主建造物と広大な両翼によって構成され、これまでに何度も増改築を重ねてきたため内部には様々な建築様式が入り混じっています。

ナポレオン1世時代に造られた「クール・カレ」とナポレオン3世時代に造られた「クール・ナポレオン」という2つの大きな中庭があります。

ルーブル宮殿は、中世からルネサンス期に建造されたクール・カレやグランド・ギャレリ(大展示室)を含む「旧ルーブル」と19世紀以降に建造されたクール・ナポレオンやテュイルリー庭園を含む「新ルーブル」に分けられます。

現在、ルーブル宮殿の敷地のうち約60600㎡の部分が美術館の展示室として使われています。

第2位 ホーフブルク宮殿(オーストリア) 240000㎡

引用:www.howtravel.com

ホーフブルク宮殿は、オーストリアの首都ウィーンの中心部にある元皇宮宮殿で、現在はオースリア大統領の公邸や国立図書館、欧州安全保障協力機構(OSCE)の常設会議場などが設けられています。

ホーフブルクとは、ドイツで「王城」を意味し、オーストリアを支配していたハプスブルク家が640年の長きに渡って居城としていた宮殿です。

オーストリアにはもう一つ、シェーンブルン宮殿という有名な宮殿がありますが、そちらは夏の離宮として使われ、ホーフブルク宮殿のほうは主に冬に皇宮とされていました。

ハプスブルク家はスイスに起源をもつヨーロッパの名家で、中世から神聖ローマ帝国の皇帝の座を保持し、一時はオーストリアからドイツ、スペイン、イタリア、ベルギーに及ぶヨーロッパの広大な地域を所領にしていました。

ホーフブルク宮殿は、1275年頃、ボヘミア王でもあったオーストリア公オタカル2世によって建造されたもので、その後、オタカル2世が神聖ローマ皇帝ルドルフ1世に敗れたため、ハプスブルク家の手に入りました。

神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝たちの宮殿として代々使用され、1918年の第一次大戦敗戦までハプスブルク家とともに歴史を刻みました。

1938年のオーストリア併合では、アドルフ・ヒトラーがホーフブルク宮殿のテラスで、併合の宣言を行いました。

現在は、内部にアウグスティナー教会や膨大な素描や版画を収蔵しているアルベルティーナ美術館、ハプスブルク家の財物を展示している宝物館、古典馬術学校、オーストリアの国立図書館である宮廷図書館などが入った複合建造物として、観光でも人気の場所になっています。

第1位 議事堂宮殿(ルーマニア) 330000㎡

引用:http://9.pro.tok2.com

世界最大の宮殿ランキング、その第1位にランクインしたのが、議事堂宮殿というこの変わった名前の宮殿です。

議事堂宮殿は、宮殿としてだけではなく、建物としても、アメリカ国防総省ペンタゴンにつぐ世界第2位の大きさを誇ります。

ルーマニアの首都ブカレストにあるこの建物は「国民の館(Casa Poporului)」と呼ばれていて、現在はルーマニアの国会議事堂として使用されていて、ほかにも政党のオフィスや美術館などが入っています。

この建物は、1980年代のルーマニアで独裁政権を築いていたルーマニア共産党書記長でありルーマニア共和国初代大統領ニコラエ・チャウシェスクによって建造されました。

チャウシェスクは、当時社会主義国家だったルーマニアで、積極的に西側諸国とコンタクトをとって関係築こうとした反面、国内では妊娠中絶や離婚の禁止といった無理な人口増加政策を行ったことでも知られます。

このために、ルーマニアでは育てきれずに死亡する子どもや、ストリートチルドレンになる子どもが増加し、社会問題になりました。

やがて国民の支持を失ったチャウシェスクは、1989年のルーマニア革命によって政権を追われ、革命軍の手によって公開処刑にされました。

議事堂宮殿は、そんな独裁者が「宮殿」として建てさせたもので、正式名称は「議事堂宮殿」で、ほかに「議会宮殿」「国民の館」「人民宮殿」などの呼び名もあります。

議事堂宮殿というのは革命後に改めてつけられた名称で、チャウシェスク政権当時は「人民の館」と呼ばれていて、ルーマニア人は今でも一般的にこちらのほうの名前を使っています。

議事堂宮殿は、1984年に建造がスタートし、工事は昼夜休まずに行われ、チャウシェスク大統領はたびたび現場を視察に訪れては、様々な指示を与えたといいます。

中央ホールにある大階段は小柄だったチャウシェスク大統領にあわせて造られたため、1段15㎝と普通よりも低くなっていて、この建物がまさに独裁者チャウシェスク大統領のためにものだったことがわかります。

革命のときには70%ほどが完成していて、工事は一時中断しましたが、その後再開され、1997年に完成しました。

建物全体で部屋数が3000余りあり、現在は一般向けの観光施設になっていますが、建物のすべてを管理することができないという理由で一部だけが対象になっています。

まとめ

以上、世界最大の宮殿ランキングを紹介してきました。

古今東西の国王や皇帝、独裁者まで、様々の人間の手により多くの宮殿が建造されてきました。

大きさというのは、君主や国家元首のもつ富や権力の大きさをわかりやすくあらわすことのできるもので、今でも彼らのもっていた巨大な力を私たちに感じさせてくれます。

壮大な数々の宮殿は、その国の君主のかつての栄華を象徴するとともに、そこに刻まれた歴史をも現代に伝えています。

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