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ニ・二六事件を起こした軍人も感激した!元祖ライブアイドル「明日待子」





会いに行けるアイドル、つまりライブアイドルの元祖と言えば誰であろうか。諸説あるのだが、新宿にあった「ムーランルージュ新宿座」の看板スターの一人、明日待子が元祖ではないかと言う説が強い。原節子・諏訪根自子・山口淑子(李紅蘭)と並んで、戦前に活躍した元祖アイドルと言って差し支えないかもしれない。

明日が生まれたのは1920(大正9)年の事。岩手県の釜石市であり、幼い時から日本舞踊を学んでいた。13歳のときに釜石市を巡業で訪れたムーランルージュの俳優・有馬是馬に愛らしいルックスを評価され、スカウトされたのが、デビューのきっかけとなった。

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その後、「ムーランルージュ新宿座」の看板女優として戦前戦中を通して活躍した。この「ムーランルージュ新宿座」というのはキャバレーと表現されるが、現在のキャバレーではなくレビューを見せるショー劇場といった意味合いが強い。フランスにあった「Moulin Rouge」を参考にして1931年12月31日に歌手の佐々木千里によって新宿の角筈に設立された。戦争末期空襲により焼失したが、現在の住所で言うと歌舞伎町あたりにあったといわれている。

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明日の活躍はめざましく、舞台のみならず雑誌グラビアや企業とのタイアップソングの発売、カルピスの初代CMガールとして活躍した。明日が映ったカルピスのポスターを見たことがある人も多いだろう。他にもライオン、キッコーマンなどのポスターにも起用された。1996年は自身の手により自叙伝である「明日待子・五條 珠淑のあゆみ」が発売されている。

戦後、29歳で北海道の興行会社の御曹司と結婚、晩年は日本舞踊の正派五條流宗家家元・五條珠淑を襲名して現在でも芸能活動を続けている。この流派は古典的な動きにバレエなどを取り入れたスタイルであり歌舞伎役者と交流があると言われている




明日のアイドルとしての伝説は、二・二六事件の生き残りの軍人たちを感動させたと言う話が有名だ。

1936年(昭和11年)5月、動乱で揺れる満州に送られる直前の第1師団の兵士たちが「ムーラン・ルージュ新宿座」にやってきた。演目の終わりに若い兵士たちは突如立ち上がり「明日待子万歳!」 と叫びだしたのだ。この歓声に対し、明日と仲間たちは舞台から降り、「武運長久をお祈りします」 と言いながら兵士一人一人の手をとって丁寧に挨拶を行った。

当時の軍人が若い女優の名前を挙げながら万歳をするとは異例の出来事であった。多くの仲間を二・二六事件で失った若い兵士たちは、どんな気持ちで明日待子の名前を呼んだのであろうか。まさにアイドル伝説にふさわしいエピソードだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像『幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記 (フィギュール彩)