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アメリカ空軍UFO調査機関「ブルーブック」の変遷と謎

サイン(前兆)からグラッジ(怨恨)へ

1948年1月、オハイオ州ライト・パターソン空軍基地内に、UFO調査機関として「プロジェクト・サイン(前兆)」が設置された。ただし、この名称は長らく秘密にされ、一般には「プロジェクト・ソーサー(円盤機関)」として知られていた。UFO=地球外起源仮説に魅了されたサインのメンバーに強い影響を与えたのは、1948年1月7日に起きた、ケンタッキー州軍航空隊のトーマス・F・マンテル大尉がUFOを追跡中に墜落死を遂げた、いわゆる「マンテル大尉事件」だった。

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「プロジェクト・サイン」のメンバー。

 

ついで7月24 日深夜、テキサス州ヒューストンからジョージア州アトランタへ向けて飛行していたイースタン航空576便のクラレンス・チャイルズ機長らが、長さ15メートル近い炎を噴射しながら無音のまま飛行する、翼のない葉巻形物体と遭遇した「イースタン航空機事件」。

さらには10月1日午後9時、F15 戦闘機での訓練を終えてノースダコタ州ファーゴ空軍基地に帰投中の州兵ジョージ・ゴーマン少尉が小型の発光体を追跡し、約30 分近くドッグファイトを展開した「ゴーマンUFO空中戦」といったケースも加わる。

サインはこうした内外の事例を分析し同年8月、非公式に「状況判断報告書」をまとめ、「円盤はどこかの惑星からやってくる宇宙船である」という説を示したが、これは最高機密とされ、空軍参謀総長ホイト・S・ヴァンデンバーグ大将の元に送られた報告書は「証拠に欠ける」として却下された。

そして同年12月、空軍がUFO否定声明を出し、サインは解体される。

1948年12月16日、新たに「プロジェクト・グラッジ(怨恨)」が設置されたが、これはUFO否定のためのPR機関に他ならなかった。グラッジには、当時UFO否定論者だったオハイオ州立大学天文学教授兼マクミラン天文台長のジョーゼフ・アレン・ハイネック博士が外部から参画していた。

1949年8月、グラッジは多数の目撃事件に関して、天文学や心理学、さらには自然現象を加味して分析した結果「そのほとんどが合理的に説明づけられる」とするハイネック博士の手になる否定的な見解が提示された報告書を作成。同年12 月に解散した。

 

空軍大尉とブルーブックの関わり

1951年9月、ニュージャージー州フォートマンマス上空で、ジェット練習機のパイロットたちが円盤と遭遇、地上のレーダーにも捕捉されるという事件が発生した。これが契機となってC・P・キャベル空軍情報部長はUFO調査機関の発動を決意した。そして10月27日、ライト・パターソン空軍基地のATIC(航空技術情報センター)長ジャック・ダン大佐に「グラッジ」の再起動を命じたのだ。

ダン大佐によって、翌1952年3月、ATIC内に「プロジェクト・グラッジ」が再編された。初代機関長には、航空機ミサイル分析部のエドワード・J・ルッペルト大尉(テレビドラマではクイン大尉)が任命される。グラッジは翌1952年3月、独立した特別機関に昇格し、暗号名も「プロジェクト・ブルーブック」と改められた。その正式名称は「空中現象グループ」(Aerial Phenomena Group) である。

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プロジェクト・ブルーブックのメンバーたち。

 

ルッペルト大尉は、円盤をはじめとする正体不明の飛行物体を、「UFO (Unidentified Flying Objects= 未確認飛行物体)」と呼ぶことを提唱。後に正式の空軍用語としたばかりでなく、正式な目撃報告要旨も作成した。大尉は空軍に寄せられたすべての報告を客観的事実と論理から分析し、正体が判明したもの、既知のものである可能性が高いものを除外し、そのほかの報告を「未知=アンノウン」のカテゴリに入れ、さらにはUFOが肉眼で目撃されると同時にレーダーによっても捕捉された事例は“高質な報告”として分類したのである。

さらにUFO事件の科学的な分析研究を重視、著名なシンクタンクである「バッテル記念研究所」に、それを委託した。

こうした充実した研究体制を確立したルッペルト大尉が機関長に在任中の数年間は、アメリカ空軍におけるUFO研究の黄金期といえた。なお、天文学担当顧問だったハイネック博士は、この時点から最高顧問となっている。

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UFO現象に否定的だったころのハイネック博士。

 

CIAのUFO封殺陰謀

だが、同プロジェクトには過酷な結末が待ち受けていた。当時、ペンタゴン高官や空軍情報部内では「UFO= 地球外起源仮説支持派」が台頭していたが、一方、CIA(アメリカ中央情報局)はその動きに危機感を募らせていた。1953年1月、CIAは著名な物理学者ハワード・ロバートソン博士を議長とするUFO査問会を開催。その目的は、空軍情報部がUFOに熱を上げていることを懸念したCIAが、旧ソ連側がUFOを使った心理戦争を仕掛けてくることを恐れ、UFOの存在そのものを封殺することにあった。  そして、ロバートソン査問会の結論は、CIAの意向どおり「UFO現象が国家に対する物理的な脅威であるとする直接的な確証は示されなかった。外国製の人工物体による敵対行為であるということを示す証拠はなく、この現象が現在の科学的概念に修正を迫るようなものでもない」というものだった。まさにUFO現象の全面否定だ。

同じころ、大尉は軍部と政府高官たちから、活動の目的を異星人が地球に来た目的を探ることに絞るようにと圧力を受けていた。これを拒否した彼は同年9月、突如、空軍情報部を追われた。同時にブルーブックは活動停止に追い込まれたのである。空軍のUFO 政策を国家安全保障にとって有害だと判断したCIAとペンタゴンの地球外起源支持派の高官たちの双方から、ルッペルトは邪魔者とみなされたのだ。

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ブルーブックの初代機関長となったルッペルト大尉。

 

空軍を辞職したルッペルトは1960年、心臓発作で亡くなった。37歳の若さだったことから“謀殺”だった、という噂も根強い。ちなみに、ブルーブックは彼の解任後も存続したが、メンバーはわずか4人で活動も名ばかり。UFO事件を航空機や自然現象、天体の誤認と強引に結びつけることに終始していた。

1966年、空軍はUFO問題に決着を図るべく、コロラド大学に研究を委託した。主導者である核物理学の権威エドワード・U・コンドン博士の名をとって「コンドン委員会」と呼ばれるこのプロジェクトは、1969年1月に「UFOは科学的研究の対象となりえず、国家安全保障上も脅威とはなりえない」という結論を下し、空軍にUFO調査の必要性はないと勧告した。同年12 月、ペンタゴンはこれを受けてブルーブックを解体したのである。

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(ムー2019年8月号より抜粋)