ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」! 連載第44回は、ある日空から降ってきた悪気を吐く化け物の正体を補遺々々します。
明治のころのお話です。
漁師の多く住む堀江という村に、ある日、空から不思議なものが落ちてきました。
長さ約16メートル、幅約9メートル、周囲約30メートル、大きな袋のようなものです。
そんなものを見たことがなかった村人たちは、とても驚きました。
「風の神があやまって袋を落としたんじゃないか!?」
「いや、これはラッキョウの化け物だ!」
――と、大混乱です。
この正体不明の不気味な落下物を恐れた村人たちは、寄ってたかって、これを櫂(かい)で殴ります。しかしそれは、逃げるようにふわふわと飛んでいくので、逃すものかと追い回して打ち叩きますと、とうとう袋が破れ、そこから異臭が噴出しました。
「妖怪が悪気(あっき)を吐きだしたぞ!」
村人たちは大慌てで逃げ出しましたが、運悪くこの〝悪気〟を吸いこんでしまった2、3人の村人は顔色が悪くなり、それから病みついて2、3日も寝込んでしまったといいます。
にわかに空から降ってきたかと思えば、悪気をふりまいて村人を脅かしたラッキョウの化け物。その正体は、いったいなんだったのでしょうか?
実は、化け物ではありません。
明治10年、5月23日。東京築地の海軍省練兵場で、軍事偵察用の気球の実験をしていました。無人の状態で気球を飛ばすとそれは風に流され、東南へ1里半ほどのところにある堀江という村に墜ちました。
そうです。村に落ちてきたのは、風の神の落とし物でも、ラッキョウの化け物でもなく、無人の気球だったのです。
袋から噴出したのは当然、妖怪の吐く悪気などではなく、水素ガスでした。
山形県で採集された、危険な凧(たこ)の話があります。
こちらはラッキョウの化け物と違い、ちゃんとした(というのも変ですが)妖怪の話です。
ひとつは【突風凧】といって、大嵐を巻き起こす凧の妖怪です。竜巻のような被害をもたらすといいます。
もうひとつは【凧怪】で、昼日中に現れる凧です。一見、顔の描いてある凧なのですが、その顔はこの怪物の本体であり、人に近寄ると噛みつくのだそうです。
どちらも『西郊民俗』に見られるもので、これ以上の情報はなく、調査中です。
石井研堂『明治事物起源』
羽太鋭治『浮世秘帖』
高橋敏弘「山形県における通り物の系譜」西郊民俗談話会『西郊民俗』通巻百三十五号