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【日本史ミステリー】源義経は偽物だった!?頼朝はなぜ弟を殺したのか…

源義経というと、日本史でも人気のあるキャラクターである。NHKの大河ドラマではジャニーズ事務所のタッキーこと滝沢秀明が演じ人気を博した。

しかし、源義経とは本当に源頼朝の弟であったのであろうか。




頼朝と義経は20年ぶりに再会している。2歳で兄と別れた義経は、鞍馬寺にて僧侶の道を選ぶことになる。だが、承安4年(1174年)3月3日桃の節句に監視の目をかいくぐり、鞍馬山を抜け出した義経は奥州藤原氏を頼ることになる。

鎌倉時代の歴史書である「吾妻鏡」によると、1180年、22歳になった義経は、奥州藤原氏の重臣であった佐藤忠信・継信兄弟を従えて、兄である頼朝と20年ぶりに会う。頼朝は20年ぶりに会った弟に対してこの時不信感を抱いた可能性はないだろうか。2歳で別れた弟が、22歳となり会いに来たといっても誰が信じようか。

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その後、頼朝は義経を手駒としてうまく使い、平氏を滅ぼすことに成功する。梶原景時による(ざんげん)もあり、頼朝は義経を追放することになる。

平家が滅びた後では利用価値がなくなった自称義経を生かしておく必要がなくなったのであろうか。また、後白河法院から勝手に官位を得たと言う義経の行為が武士を中心とした新しい秩序を構築しようとしていた頼朝の反感を買ってしまった可能性もありうる。

もっとも、単純に優秀な弟が妬ましかったとか、強くなったと言う可能性もある。どちらにしろ義経は兄である頼朝に討たれることになる。




この時、頼朝の心の中に「この男は自分の異母弟ではない」という感覚があったのかもしれない。当然、頼朝と敵対する勢力は平家だけではなく、奥州藤原氏や後白河院など他にも存在していた。奥州藤原氏の家来を連れて突然現れた義経に対して、替え玉であるとか、スパイであるという疑惑を持たないはずがない。

以前テレビ東京で放送されていた「新説!みのもんたの日本ミステリー」にて興味深い説が発表されていた。

鎌倉の滿福寺に義経が描いたとされる頼朝に当てた「腰越状」が残されている。問題はその内容だ。自分は農民のようなことをしていたと記載されているのだ。源氏の御曹司が頼ってきたにもかかわらず、奥州藤原氏がそのような扱いをするであろうか。これはいささか不可解な記述である。




結局、義経は欧州平泉で討たれてしまうのだが、伝説では義経の代わりに年齢や容姿が似ていた杉目太郎が替え玉になって討たれたとされている。俗に言う義経生存伝説である。番組の中ではこのそっくりな杉明太郎の弟の行方を指摘していた。太郎の弟は2人で末弟の杉目三郎は合戦で討ち死にしている。

問題なのは次男である杉目次郎である。この杉目次郎の行方は全く分からないのである。番組の中では、頼朝の前に現れた偽物の義経は、杉目次郎ではなかったのかと結論を出していた。これは非常に面白い歴史ミステリーだ。

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(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像『ハーン ‐草と鉄と羊‐(5) (モーニング KC)