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【恐怖】世界に実在する呪われた場所10選

科学が発達し、宗教があまり浸透していない現代日本においては信じられることはなくなってしまったと思われている「呪い」。

しかし海外には今でも呪われていると信じられている場所が沢山あります。そして世界だけではなく日本にもそのような呪われていると言われる場所があります。

今回はそんな世界の呪われた場所を10箇所ご紹介します。

ウィンチェスター・ミステリー・ハウス

ウィンチェスター・ミステリー・ハウスは、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼにある幽霊屋敷です。

現在では観光スポットと心霊スポットとして両方の面から知られており、アメリカ合衆国国家歴史登録財でもあります。

ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの発端

屋敷はその昔、銃のビジネスで成功を収めた実業家ウィリアム・ワート・ウィンチェスターの邸宅でした。

ウィンチェスターライフルは、西部開拓時代のアメリカにおいて普及していたライフル銃です。

ウィリアム・ワート・ウィンチェスターの妻、サラ・ウィンチェスターは1866年に娘のアニーを、そして1881年に夫を亡くし、未亡人となってしまいました。

実業家の妻であるためお金には困りませんでしたが、愛した娘と夫を失った悲しはなかなか癒えませんでした。何らかの慰めを求めていたサラは友人のアドバイスにより霊媒師の助言を求めました。

「ボストンの霊媒師」の通り名で知られていたこの霊媒師が、ウィンチェスター家が代々製造してきた銃が多くの人々の命を奪ってきたため、一家にかけられた呪いが存在するとサラに告げたのだといいます。

さらに霊媒師は、銃のせいで幾千という人々が死に、彼らの魂がいま復讐の機会を求めているのだと告げました。

これを聞いたサラはその霊を慰霊するにはどうすればいいのか?と霊媒師に聞きました。

すると霊媒師は「アメリカ西部へ行き着いたその場所へ、あなた自身とその恐ろしい銃で亡くなった人たちの霊のために家を建てなさい。家の建設を止めてはなりません。あなたがもし建て続ければ、あなたは生き長らえるでしょう。もし止めれば、あなたは死んでしまうでしょう」と伝えました。

これを聞いたサラはは実際に西へと引っ越し、カリフォルニア州へ定住して彼女の屋敷の建設工事を開始しました。

ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの変遷

夫の死により、サラ・ウィンチェスターは2千万ドル以上の財産を相続していました。

また、彼女は銃器製造会社のウィンチェスター・リピーティングアームズの50パーセント近い所有権を受け取り、概算でも1日につき千ドルの収入があったと考えられています。

こうして蓄えられた莫大な資産によって、彼女は屋敷を増築しつづけるための資金投資が可能となっていました。

その後サラが亡くなるまでの38年間、一日も休むことなく家は増築され続けていきました。

こうした続けざまの建設工事費は、およそ550万ドルであったと見積もられています。

 ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの仕掛け

もともとウィンチェスター・ミステリー・ハウスは普通の家でしたが、増築して行く際にサラは亡霊から逃れるために家に多くの仕掛けを施しました。

1.door to  nowhere
どこにも通じていない扉、この仕掛けはウィンチェスター・ミステリー・ハウスの二階にある仕掛けです。ドアを開けると外につながっており、この仕掛けを知らずにドアを開けると二階から外へと落下する危険な仕掛けです。

2.不可思議な階段

ウィンチェスター・ミステリー・ハウス内には多くの階段がありますが、階段を上ると天井であったり、階段を降りると壁だったりと無意味な階段が多く作られています。

3.逆さまの屋根
door to  nowhereのすぐ横には屋根を逆さまにしたような建築がされており、これは追ってくる霊を惑わすために作ったとされています。

13とクモの巣のモチーフへのこだわり

13はアメリカでは不吉な数字されていますが、彼女は幸運をもたらすと考えられていました。数字の13とクモの巣のモチーフは、屋敷中に表れています。

例えば、輸入物の高価なシャンデリアにはもともと12個のろうそく立ててありましたが、その後13個のろうそくに合うように作り変えられており、その他にも壁の衣服を掛けるフックの数が13の倍数となっており、クモの巣の模様が施されたティファニー製の窓にも、13色の石が含まれています。

賞賛の印として、ハウスの現在の管理人は、数字の13の形を模したトピアリー(装飾庭園)の木を創っています。

ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの間取り

間取りとしては最終的にハウスには40の寝室と2つの舞踏室を含む、およそ160の個室があります。

また、47個の暖炉と1万枚の窓ガラス、17の煙突(2つの建設されていた形跡もある)2つの地下室と3つのエレベーターもあります。

蒸気暖房や空気強制暖房、近代的な室内トイレや配管系統、押しボタン式のガス灯に室内配管からの温水シャワーなど、ハウスには当時の建築物において稀にしか見られない便利な設備が見られました。

設備には3つのエレベーターもあり、この中の一つにはアメリカ合衆国で唯一の、水平な水圧式エレベーターピストンが含まれています。

 

ポヴェーリア島

島にある病院跡

ポヴェーリア島の位置

ポヴェーリア島は水の都として知られるイタリアの都市ベニスの近くに浮かぶ無人島です。

位置としては都市部に近いため観光にも向いていそうな島ですがこの島には恐ろしい歴史があります。

ポヴェーリア島の歴史

この島の暗い歴史の始まりはペストがベニスで流行した14世紀からはじまります。

それまでは普通の島だったものの、ペストの流行によりこの島は検疫地とされます。

それは同時にペスト感染者を死者であろうと生存者であろうと隔離する隔離病棟として使われるようになってしまいました。

隔離といっても完全放置状態であったのは想像に苦しくなく、行けば2度と生きては帰れない死の島でした。

さらにペストの流行が収まった後は隔離精神病棟も建てられ、精神に異常をきたした患者を隔離、幽閉する施設として使われ始めました。

しかしこの精神病棟で悪いうわさが立ち始めました。

その噂とは医者が自身の欲のために患者に人体実験を行った。霊にとりつかれた患者が自殺をした。医者が患者を拷問したなどです。

そのせいもあってかこの病院は1968年に閉鎖に追い込まれ、その後は無人島として放置され、イタリア政府が立ち入り禁止区域に指定しています。

ポヴェーリア島の噂

「島の土壌の半分は死者の灰」地元の人々はこう噂し、この島には決して近づこうとはしません。

さらにこのような黒い歴史のためかこの島では不思議な体験をする者や、幽霊の目撃談などの報告が多数あり世界最強の心霊スポットとも言われており、まさに呪われている場所として知られています。

3.ホイア・バキュー・フォレスト

不自然にねじ曲がった木々

引用 trapradar.net/

 ホイア・バキュー・フォレストとは

ホイア・バキュー・フォレストは現地では呪いの森と言われています。

またルーマニア版バミューダトライアングルとも言われており、UFOの目撃やポルターガイストといったよくあるものから、原因不明のライトや電気現象、背の高いヒューマノイド型の生物が目撃されたりするそうで、とにかく噂に事欠かない場所です。

森の名前の由来は200匹の羊と一緒に姿を消した地元の羊飼いにちなんで命名されているようです。

さらに、この森に足を踏み入れた人達が他にも行方不明になっており、3平方km程の呪われた森に入った者の中で、激しい不安感にかられたり、 原因不明の頭痛、吐き気、発疹、さらには、外傷(傷)が発生したりすると言われており、急に意識を失ってしまう人もいるといいます。

実際、ここに取材に行った珍獣ハンターとして有名なイモトアヤコさんも上記の症状に似た状態に陥り、すぐに森から出ていきました。

また、森の木々は一部が不可解にねじれていていたり、一部では焦げているものもあります。

その他にも1986年にアレクサンドル・シフト氏がこの場所でUFOの写真を取ったことからUFO関連の目撃場所としても有名となっています。また周りの住人はこの森には何かあると口々にいい、一切近寄ろうとはしません。

怪奇現象の原因

地元住民はこの森は怒りに満ちた霊が取り憑いているといいます。

この森に住む霊の多くは農民で、その昔、この森で、農民の大量殺害が行われたと伝えられています。

農民の霊はホイア・バキュー・フォレストに地縛霊として閉じ込められてしまったため、永遠に続く苦しみから逃れることができない農民の霊は、怒りながら林を彷徨っています。

その霊がこのような怪奇現象を引き起こしていると考えられており、呪いの森として恐れられる原因となっています。

リンダ・ビスタ・コミュニティー病院

病院の内部

引用 http://worldtv.blog.fc2.com

 リンダ・ビスタ・コミュニティー病院とは

リンダ・ビスタ・コミュニティー病院は1904年に負傷した鉄道工事員たちを治療するためにサンタフェ海岸線病院という名で開業しました。

その後、鉄道工事が終わった後もリンダ・ビスタ・コミュニティー病院と改名し、地域住民に対して総合的な医療を提供していました。

ここまではごく普通の病院なのですが1970年代ごろから狂い始めます。

この頃になると周囲の治安が悪化していき、ギャング同士の抗争で負傷した患者が大勢運ばれてくるようになりました。

ギャング達は仲間が死んだことに対して激しい怒りを覚え、その怒りは治療に当たっていた医者看護師にまで向けられ、医師がギャングに殺害される事件も発生していきました。

そのため腕のよい医者や看護師たちは次々とやめていき、他の病院をクビになったような医者や未熟な医者しかいなくなり、病院の死亡率はみるみるうちに跳ね上がっていきました。

そして1991年、とうとう廃院となってしまいます。廃院後も比較的良い保存状態を保っているため、ロケ地として使われています。

発生する霊現象

この病院には行き場を失った霊が大勢彷徨っており、突然、吐き気をもよおすような悪臭が流れたり、苦しそうなうなり声を聞いたり、亡霊が現れたりするという心霊現象が起きるといいます。

恐怖体験をした人は多数おり、これまで複数の超常現象調査隊も乗り込み、カメラに霊がう!写ったこともあります。

さらに恐ろしい事実として、実はこの病院は廃院する少し前あたりから、大勢の身元不明の患者を引き受けていました。

そのような患者は亡くなり市や警察に届けを出した後は引き取り手がないため、院の焼却炉で遺体を燃やしていました。

その遺灰の処理に困った院は、そのままにし続け、今でも焼却炉には大量の遺灰が放置されたままになっているそうです。

自らの遺灰を粗末に扱われその霊魂が院に強い怒りを抱き成仏できずに彷徨っているといいます。

また、精神病棟の323号室には拷問のような治療をほどこされ死亡した患者の霊がいます。

さらに、1階は少女の霊が駆けまわり、訪れる人々に悪さをするので要注意だとされています。

リンダ・ビスタ・コミュニティー病院の現在

現在、このリンダ・ビスタ・コミュニティー病院は高齢者向け住宅としてリフォームする作業が進められています。

そのため立ち入り禁止となっていますが、窓に幽霊がいるのを見たなどの目撃情報は後を絶たず、住宅になっても皆、逃げ出してしまうのではないかと囁かれています。

青木ヶ原樹海

青木ヶ原樹海

青木ヶ原樹海は、山梨県富士河口湖町・鳴沢村にまたがって広がる森で、富士山の北西にあります。

富士の樹海とも言われ、言わずと知れた日本の自殺の名所となっている土地です。

しかし近くにキャンプ場や公園があり、青木ヶ原を通り抜けられる遊歩道も整備されており、森林浴には最適なところです。

青木ヶ原と湖と富士山からなる景観も美しい、東京圏から容易に行けることもあり、人気の高い観光地です。

発生する怪奇現象

なぜか他の深い森より自殺者が多く、その遺体が遊歩道からそう遠くない所で見つかることも少なくありません。

そのため自殺者の霊がさまよっており、呪われていると言われてます。

また一度入ると抜け出せない、方位磁針が使えない、電子機器が狂うという噂もありますが、一度入ると抜け出せないのは深い森であれば青木ヶ原樹海に限ったことではなく起こりうることです。

また方位磁針が使えない、電子機器が狂うというのはただの噂です。

確かに青木ヶ原樹海は溶岩の上にできたので地中に磁鉄鉱を多く含み、方位磁針に1・2度程度の若干の狂いは生じますが、俗に言われているように「方位が分からなくなる」ほど大きく狂うものではありません。

実際に陸上自衛隊は地図とコンパスで樹海を踏破する訓練を行っています。本当に方向が分からなければ自衛隊もこのような訓練はできないはずです。

しかし多くの人が亡くなっているのは事実であり、最近ではアメリカのYouTuberが青木ヶ原樹海に入って亡くなった人の亡骸を動画に写して炎上するなど、面白半分で行くところではないのは確かな場所です。

カタコンブ・ド・パリ

地下に積み上げられた人骨の山

カタコンブ・ド・パリはパリの地下にある迷宮のようなトンネルです。

ここには数百万体もの骸骨が安置されて何キロにも及んで敷き詰められています。

1700年代に飽和した墓地から遺骨を移すために作られたもので、直接ここに埋葬されたわけではありません。そしてここは1859年まで利用され続けました。

またフランス革命期の虐殺やギロチンの犠牲者は直接ここに埋葬されたといいます。

見た目がとても恐ろしいスポットではあるのですが、現在では日本人にはそれほどでもありませんが、欧州人には大人気な観光スポットであり、オフシーズンでも2時間くらい待たされる事もあります。

せっかく永遠の眠りに就いたのに、掘り起こされて壁にされてしまった死人達の怨念が渦巻くと言われ、観光スポットになった今でも呪われた土地と言われ、恐れられています。

客船クイーン・メリー号

クイーン・メリー 号は1934年にイギリスで進水式を行った後、1936~1967年にかけて北大西洋を横断する定期便として運航されました。

その後は客船として運航され、第二次世界大戦中は兵士輸送として活躍しました。戦後は再び客船として運航され、1967年に引退しました。

その後は、アメリカ、カリフォルニア州のロングビーチで博物館船兼ホテルとして静態保存されている歴史ある船です。

ファーストクラスに滞在した客には高級レストラン、インドア・プール、サロン、図書室、託児所などの一流サービスを提供していた豪華なイメージで知られるクイーン・メリー号ですが、このクイーン・メリー 号は130人もの亡霊が住みついていると伝えられています。

 呪われている理由

豪華なイメージのあるクイーン・メリー号ですが、戦時中の1942年に護衛の軽巡洋艦キュラソーに衝突し、沈没させて、338名を死亡させています。

また現在に至るまで、船内で49人が死亡したと報告されており、成仏できない霊や船に恨みを持つ霊など、130人以上の亡霊が取り憑いていると言われています。

 霊の目撃談

有名な霊としては、ファーストクラス用のプールで泳ぐ1930年代の水着姿の女性の霊、プールの周りには水滴でできた彼女の足跡がよく現れるといいます。

この女性の霊の仕業か、更衣室には悪い気で満ちていると言われています。セカンドクラス用のプールで溺れ死んだジャッキーという少女の霊も頻繁に目撃されており、サードクラスのプレイルームからは、よく子どもの泣き声が聞こえてくるそうです。

機関室ナンバー13では、定期訓練中に機材に身体を押し潰され圧死した機関士の霊が彷徨っており、ナンバー13にスッと入る船員の霊を複数の人が目撃しています。

また、キュラソーに衝突した貨物室部分にはキュラソーの沈没とともに亡くなった、船員の霊がベットリと取り憑いており、「恐ろしげな声が聞こえてくる」と多数の証言が寄せられています。

あまりにも多くの幽霊目撃情報が寄せられ、心霊写真まで撮影されているため、クイーン・メリーを静態保存している側も「確かに幽霊はいる」と認めています。

しかしこれは観光客と常連客向けの「心霊ツアー」を提供するようになり、オカルトファンを喜ばせています。

人形島

人形島につるされた人形

引用 http://都市伝説まとめ.biz/ns_yarisugi/

人形島とは正式にはソチミルコ島といい、メキシコにあり、ソチミルコは世界遺産にも指定されています。

その名の通り多くの人形がるのですが、その一つ一つの人形がとても不気味です。

多くの人形が首を吊っているように木々に括り付けられており、一部の人形は不自然に痛んでいたりと、とても不気味な場所として知られています。

人形島ができた理由

この島が「人形島」となったのは、ドン・ジュリアン・サンタナという一人の男が島に移り住んでからのことです。

サンタナは結婚していましたが、彼の残りの人生約50年を、一人でこの島で暮らすことを選びました。

サンタナはよく、この島の運河付近で溺れた少女の霊に取り憑かれて困っていると話していたといいます。

その供養の為に彼は流れてくる人形を一心不乱に釣り上げ、供養として釣り上げた人形を祭壇を作って祭りだしたのが、人形島のはじまりだと言われています。

釣った人形は地元の人が育てていた野菜や果物などとも交換していたといいます。

呪われている理由

古来より人形には人の魂が宿ると言われています。

さらに水には霊が集まりやすいと言われており川を流れてきた人形には幽霊が取り付いていてもおかしくありません。

そしてそのような人形は扱いを間違えると呪われてしまいます。そのためこの島は呪われた島と言われています。

エディンバラ城


引用 https://blogs.yahoo.co.jp

スコットランド王国時代からの古都・エディンバラのシンボル的存在であるエディンバラ城は、キャッスル・ロックと呼ばれる切り立った岩頸の上にそびえたっています。

長年、要塞として使用されており、歴史的建築物としても国民から愛されています。

 この場所が呪われている理由

城にはその昔、囚人を監獄していた地下牢があり、そこに今は、処刑された囚人の霊が取り憑いているといいます。

そしてその場所で写真を撮ると、決まってカラフルなオーブがうつりこむ、怪奇現象が起きるといいます。

処刑された囚人の中には、16世紀にジェームズ5世の殺害を企てた魔女として、捕らえられたジャネット・ダグラスという女性もおり、彼女は、息子の目の前で火あぶりの刑に処されたといいます。

彼女の霊は強い恨みをもっているとのことで、頻繁に聞こえる壁を叩く音は彼女の仕業だとされています。

彼女は夜な夜な、自分が処刑された場所にも現れるとのことで、目撃者も多数いるといいます。呪われた城とは知らずに訪れた観光客も、変な音を聞いたり、デジカメにオーブがうつりこむのを見て、背筋が寒くなるとのことです。

杉沢村

杉沢村の入り口にあるとされる鳥居

引用 https://search.yahoo.co.jp

杉沢村はかつて青森県にあったとされる村です。

昭和の初期「一人の村人が突然発狂し、村民全員を殺して自らも命を絶つ」という事件が起き、誰もいなくなった村は、隣村に編入され廃村となり、地図や県の公式文書から消去されました。

しかし、その廃墟は悪霊の棲み家となって現在も存在していると言われています。また村へ向かう道路に「ここから先へ立ち入る者 命の保証はない」と書かれた看板があり、村の入口に朽ちた鳥居があります。

その根元にドクロのような石があります。奥へ進んでゆくと廃墟と化したかつての住居があり、その内部では事件の惨劇を物語る血痕のようなものが多数見受けられると言われています。

また杉沢村に入ったものは二度と帰ってこないという噂もあります。

杉沢村の真相(仮説1 異世界説)

杉沢村はこの世界にある村ではなく、他の世界にある村であるという説です。

この他の世界というのは死後の世界やパラレルワールド、異次元世界と様々な説が唱えられています。

異世界に迷い込んだという体験談は多くありますが、もし何らかの異世界なるものがあれば杉沢村はその一つなのかもしれません。

杉沢村の真相(仮説2 複数の話が混ざっている)

事件発生が昭和であれば村一つが消えるほどの殺人事件の記録が残っていないのは不自然と考えられます。

しかし、これが明治時代や江戸時代であれば記録に残らない大量殺人事件が起きていても記録がないということはあり得ます。

つまり昭和よりも前の時代に起きた殺人事件の話が伝わるに連れて何らかの形で変わってしまい、今の杉沢村の話が出来たという説です。

【実在】日本の地図にない村・架空の村10選(千葉・青森・福岡ほか…)

まとめ

ここまで世界中の呪われた場所を紹介してきました。

今回紹介した場所は立入禁止区域に指定されていて入れないような場所もありますが、入ろうと思えば簡単に入れる場所もあります。

しかし呪いというものがあるかどうかはともかく、どの場所も過去に悲惨な事件があったような場所には遊び半分では決して行かないようにしてください。

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